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人生がときめくお伊勢さんの魔法!後編

2013年10月6日

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人生がときめくお伊勢さんの魔法!後編

2013年10月6日

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ドラねこ
ドラねこ

ちわわ、ちわ~!おいさんだよ。

キミは伊勢神宮を訪ねたことはあるかい?

今回は前回に引き続いて伊勢神宮の後半か。

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

そうじゃ!

前回から引き続き、外宮を回ったわしらは次に内宮を目指していくぞ!

今回は内宮が中心なんだな。

まいける
まいける

前回まではこちら

伊勢神宮で人生がときめいたよ?という話(*´ω`*)

一人旅!
人生がときめくお伊勢さんの魔法!前編

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赤福・本店は空いていた

赤福は、うまかった。

あまり人のいない店内で、赤福を黙々と食うわしら親子二人。

腹が減っていたのでつい食べ過ぎてしまう。

ドラねこ
ドラねこ

いやあ、赤福って久しぶりに食うと旨いなあ!

調子に乗って赤福だけではなくて赤福のかき氷も頼んでしまった。

赤福をしこたま食べた吾輩たちは赤福本店を出て、伊勢の内宮に向かった。

伊勢神宮・内宮

宇治橋鳥居に来た。ここから先はいよいよ神域になる。

川の水は、以前にも増して透き通っていた。

朝から天気も完璧に晴れてまさに参拝日和。去年一人できた時は曇ってたから…今年はついているw

五十鈴川。あまりに晴れていて少し画面が黄色っぽいw

ずんずん進んでいくと、あの懐かしい門が見えてきた。

去年、ここを一人で重たいバックパックを抱えて通ったのだ。

ドラねこ
ドラねこ

あのときは一泊しかしなかったなぁ。

ボウリング爆撃でヤバかった漫画喫茶に泊まったんだろう?

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

そうだ!思い出した!

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五十鈴川御手洗場。

ここで参拝者たちはみな手を洗う。

この日は朝早かったので人はあまりいなかった。

・・・去年は偶然にもここで皇族の方と遭うことが出来たのだ。

いや~、朝の空気が清々しいですなぁ(*´∀`)

それにしてもホントに大きな大木だ。

ここが本当に神域であることを感じさせてくれる。

伊勢神宮内宮・正殿

さぁ、着いた!ここからはカメラ禁止である。正宮まで歩いて行って参拝!パンパンッ!

ドラねこ
ドラねこ

大金持ちになりますように・・・

おい、邪念が漏れ聞こえてるぞ。

まいける
まいける

隣では外人が内部の写真を撮ろうとして守衛さんに怒られていた。デジャブw

なるべくここに長く居たい吾輩たちはゆっくりと境内を周る。それにしても良い空気だ。

休憩所内の神楽殿。

去年はここで神楽を見ている時に、うっとおしいおっさんに絡まれたんだったw

そしてまた来た鳥居に戻ってきた。

ああ…もう戻らねばならないのか。ここを超えたら現世へ逆戻りである。もっと居たいなぁ…(;´Д`)

名残惜しい気分で、ここを出た。

おはらい町

時間はまだあるのでおはらい町をぶらついていく。

ここは懐かしい雰囲気のするレトロな場所だ。

どことなく江戸の町並みが残っているようにも思える。

おかげ横丁(おかげよこちょう)は三重県伊勢市伊勢神宮皇大神宮(内宮)前にあるお蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の門前町の町並みを再現した観光地である。

運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である有限会社伊勢福が行う。 おはらい町の中ほどにあり、伊勢志摩を代表する観光地となっている。

伊勢神宮の門前町として栄えた宇治地区は、江戸時代には年間200 - 400万人もの参宮客が訪れた庶民の憧れの地であったが、高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には20万人にまで落ち込んでしまった。

この状況を打開しようとこの地に本店を構える老舗和菓子店の赤福が立ち上がり、「伊勢おはらい町会議」を結成、わずか10年でおはらい町を伝統的な妻入り建築が並ぶ通りに修景した。

更に赤福は1993年(平成5年)の式年遷宮に合わせて町の再生の起爆剤となる施設の建設を計画、「おかげ参り」と「商いを続けてこられたのは伊勢神宮のおかげ」という2つの意味を込めて「おかげ横丁」と名付けた。

横丁には赤福社長の濱田益嗣のこだわりが強く表れ、岐阜県高山市長野県小布施町などまちづくりで先行する日本各地を視察して造られた。建設費用の140億円は1990年(平成2年)当時の赤福の年間売上高とほぼ同額であったが、行政から補助金を受けることなく自己資金でまかなった。

1992年(平成4年)9月28日には、おかげ横丁の運営を行う企業として「有限会社伊勢福」を設立、翌年7月に開業した。

おかげ横丁の経営は軌道に乗り、開業から10年で借金の返済が完了した。おかげ横丁設立前の1992年(平成4年)には32万人だったおはらい町の往来者数は、おかげ横丁設立とともに増加した。2002年(平成14年)には入場者数が年間300万人を突破、2007年(平成19年)には400万人に達しようという勢いで、将来的な横丁の拡張が見えてきた。

おかげ横丁 - Wikipedia

しかし、この景観は最近になって赤福の創業者が再開発して、今のカタチになっているのだそうだ。

80年代まではもっと普通の通りで雑然としていたが、あまりにも寂れていたので今のような日本古来の町の作りにしたんだとか……し、知らんかった(;´Д`)

こんなんとかも作りものだったとは…

初めて見た時はよくこんなのが残っているなぁ…と感心したけど。

綺麗な通りである。しかしどことなく綺麗過ぎて人工物感が漂ってはいる。

よく考えて見ればあちこち不自然な新しさを感じずにはいられないのだったが……まぁ楽しければいい。

時間が経ってくるとこの通り。通りは賑やかになってきた。

それにしてもこの日は天気が良すぎる!空に雲ひとつねぇwww

ここいらで横道にそれて川の近くを歩いてみる。

五十鈴川の美しい景色が綺麗だ。そしてなんだかちょっと懐かしい。

そしてまた本通りに戻ると岩清水が湧き出る手水に行き当たった。

なんで?

周りには何もないのに(´・ω・`)

リク
リク
ドラねこ
ドラねこ

まぁいい。

ついでだから手を洗おう!

一度、おかげ横丁の奥まで行ってしまおう。この通りの突き当りはどうなってるのか?

これも後から作った作り物?

それにしては良く出来ている。

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こんなんとかも作りものだろうか?

ドラねこ
ドラねこ

これで銀行なんだぜ。

スゲ~!

まいける
まいける

おかげ横丁

今度はおはらい町の方へ行ってみる。

去年はここの両側に屋台がズラ~っと並んでキュウリとかステーキとか売っていたのに、今はベンチになっている。

あれはGWだったから?なんとなく寂しい(´・ω・`)

う~ん、まことに混雑していなくて買い物がしやすい。

去年は重いバックパックを背負って周りに気を使いながら散策したのに(;´∀`)

クロ
クロ

あ、なんかいるw

おーい、ベンチに寝転がってはダメだぞ〜

ドラねこ
ドラねこ

と、言ってもこれは等身大の置物。びっくりした。こんなん去年見たかなぁ?

洋風のいかにもレトロな店発見!

ここで去年は確かハヤシライスを食べたのだ。

ドラねこ
ドラねこ

「手ごねずし」の方はすごい人で、結局食べられなかったんだよねぇ…

味は?

まいける
まいける
ドラねこ
ドラねこ

まぁ、うまいですよ。

・・・普通に。

涼し気な日陰もたっぷりある。

これは祭りでもやる櫓なのかな?

せんべい屋さん。

さっそく中に入って自分のおやつを探すオカン。

太るぞ。(´・ω・`)

わしは待っている間あたりを散策。いや~、ほんとに色んな店がありますね。

あ、オカンが大量のせんべいを買って戻ってきた。わしもおみやげの急須でも買ーおう!

最後に有名な「すし久」で昼飯に手ごねずしを食う。

二階のお座敷に上って見晴らしの良い席について憧れていた手ごねずしを頼んだ。

そして待っている間、お座敷の上から川を撮って見た。いや~、良い景色w

寿司が来たぞ。食ってみる。

ドラねこ
ドラねこ

うまいのじゃ!

って、言っても普通の鉄火丼じゃねえか。

・・・これが名物か。なーんか拍子抜け。

まいける
まいける

帰りに豆腐アイスとかも食っちゃって、なかなか満足な旅であった。

こうして家路に着いた二人。

伊勢神宮は10月6日以降、内宮・外宮が式年遷宮でできた新しい本殿でお参りできるようになるという。

みなさんも是非行ってみて下さい(=´▽`=)ノ


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  • この記事を書いた人

ドラねこ(おいさん)

知識ゼロからグラフィックデザインを勉強し、15年間で200件以上の名刺やロゴデザインで生計を立てた実績がある。 在宅で生計を立てる方法や暮らしに潤いを与えるガジェットなどを発信中。 人呼んで乱視の猛虎! もし記事を気に入っていただけたらサイトをPlease Like & Subscribe!

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