ちわわ、ちわ~!
キミは昭和天皇は好きかい?
昭和天皇?
いきなりなんだよ。
吾輩はこれを読んで昭和天皇がいかにすごいかを学んだのじゃ。
昭和天皇論?
漫画じゃねえか。
そうじゃ。
昭和といえばついこの間まで続いていた時代で、今や懐かしい響きを持つ元号ではあるが、令和の今、そんな昭和を象徴する「昭和天皇」の知られざるエピソードを紹介していこうと思うのじゃ。
昭和天皇論
吾輩自身、昭和天皇のことをほとんど知らなかった。
むしろ、中学の頃習った左翼の歴史教育のおかげで昭和天皇=極悪人だと思い込んでいた。
わし以外にも多くの人が昭和天皇は先の戦争を起こした張本人だと思い込んでいるだろう。
まぁ、アメリカでは「ハング・ヒロヒト」なんていってな。
ヒトラーやムッソリーニ並みに先の大戦を起こした張本人みたいな立ち位置であった人だよな。
しかしその認識は違った。
終戦後の激動の時代……
昭和天皇ほど、あの敗戦の混乱の最中、国民とともに寄り添った人はいなかったのだ。
本書はそんな昭和天皇のイメージを一新した画期的な漫画じゃ。
知られざる偉大な立憲君主
この本を読んで驚いた。
知らなかった昭和天皇のエピソードが驚くほど出てくるw
戦後、マッカーサーとの対面で
「戦争の全責任を私が負う」
という全責任宣言を行ったこと。
ここらへんが、昭和天皇の立憲君主としてのかっこいいところなのじゃ。
立憲君主?
全体主義国家の独裁者じゃねえの?
違うのじゃ。
戦中当時の昭和天皇の立ち位置はあくまでも立憲君主。
なのでファナティックで好戦的な空気の中、大日本帝国にはヒトラーのような全ての権力を掌握した絶対王政の皇帝のような存在ではないのじゃ。
ここらへんが戦後民主主義の歴史教育の過程で誤解している点である。
その他にも・・・
- 「玉音放送」で天皇自らが矛を収めるために朗読したこと。
- その裏で繰り広げられた終戦のための「聖断」のこと。
- そして「人間宣言」に込められた本当の真意
など、今まで知らなかった昭和天皇にまつわるエピソードがこれでもかと詰め込まれている。
これを読まずにして、昭和天皇を語ることはできない。
昭和天皇は決して先の大戦の責任者ではないのだ。
そうした天皇観を語る者は、ただ天皇というものを解体したい左翼か天皇を「錦の御旗」として利用しようとしている右翼のどちらでしかない。
そのどちらも本当の尊皇心とはかけ離れたものなのだ。
真の尊皇心とは、国民に寄り添い続けた陛下のお姿に感動する人の事を言うのだろう。
昭和天皇の本当の姿
特にこの昭和天皇論の中で吾輩が一番感動したエピソードは、
第7章・昭和天皇の御巡幸に出てくる陛下と被災地の方々との交流だ。
東京大空襲の翌日、陛下は焦土と化した東京をご覧になり、
「胸が痛む。東京もこれで焦土と化してしまった」
と仰せになって、断固として戦争を終結させる決意を固めたという。
それから敗戦を迎え、陛下は全国御巡幸に向かわれる。
最初、GHQ高官たちの間ではこの御巡幸を
「旅先で石でも投げられて惨めな姿でも晒せばいい」
という思惑からこの御巡幸を許可したという。
しかし、そうしたGHQの思惑とは裏腹に、昭和天皇は全国どこへ行っても熱烈に歓迎された。
そして多くの国民を励ました。
その時の移動手段にも驚かされる。
天皇の御巡幸といえば、白馬やジープなどに乗って物々しい警備に守られて行われたと思っていたが、本当は必要最低限の警備で汽車などにも乗られて行われていたという。
誰も来ないような辺鄙な田舎の村にも、急造のでこぼこ道でジープが入れないので、なんと徒歩で歩いて尋ねられたという。
・・・すごいでしゅ!
すごいのう。
こんなことは並大抵の覚悟ではできない行動じゃ。
こうして陛下はどんな小さな村にも足をお運びになられたのだ。
・・・マジか。
陛下なりの覚悟を決めたすごい責任のとり方なのじゃ。
日本国民=国の宝
昭和天皇にとって、
辺境の地に住んでいる者でも、全ての民草は宝だと慈しんでおられた。
昭和天皇はよく
「この世に雑草という草は存在しない」
と仰せになられて、宮中の草むしりもさせなかったという。
この世に生息する一本一本の草たちにも、
みんな名があり、命があるということを知っていたのだ。
大御心を体現する天皇にとって、
どんなに遠くに居ようとも、国民一人一人が大事な宝なのだ。
それほどまでに陛下は国民を愛しておられ、全国を回り、励まし続けた。
こうした陛下の御巡幸は沖縄を覗いて全て行われた。
なんでオキナワにいかなかったんでしゅか?
途中で病気になってしまったのじゃ。
期間にして前後8年半、総日数165日、全行程3万5千kmに及んだ壮絶な御巡幸だった
・・・もう少しだったんじゃがのう。
・・・すげえな。
これを全部回ったのか。
志半ばで倒れられ陛下は、壮絶な戦場となり死者20万人以上が亡くなられた沖縄をご訪問することを晩年強く望んでいた。
しかし、代わりに沖縄を訪問した皇太子殿下(今の今上天皇)夫妻が過激派に火炎瓶を投げつけられるという前代未聞の事件が起こり、警備上に責任が持てないということで沖縄への御巡幸は毎年見送られ続けた。
昭和の最後
昭和62年、沖縄国体が開催にあわせて開会式のために沖縄訪問が決まっていたが、翌年慢性膵炎で倒れ、ついに陛下の沖縄訪問が実現されることはなかった。
思はざる
病となりぬ 沖縄を
たづねて果たさむ つとめありしを
陛下はそう詠まれて、
最後まで沖縄行きの強い意思を示されたが、昭和64年1月7日、崩御なされた。
その時の陛下のご無念を思うと、胸が締め付けられる(-_-;)
もう、ここらへんになると涙でページが霞んでしまうのう!
かなしいでしゅ
こうした復興のために昭和天皇が全国津々浦々、
国民を励ますために御巡幸をなされたという歴史が、今、忘れ去られようとしている。
吾輩は改めてこの「昭和の日」に、この「昭和天皇論」を読み返して当時の陛下のお姿を思い出し、今現在、自分が平和に暮らせていることを改めて感謝した。
それぐらいしてもいいだろう。
わしは所詮「戦争を知らない子供たち」なのだから。
この日本のために散っていった英霊たちや、
その英霊たちが生命をかけて尽くした昭和天皇について、もう少し知ってみても悪くないだろう。
そんなことを、本書を読んでつい思った。