ちわ!ドラねこです。
キミは一人旅は好きかい?っということで、一人旅復活!
あ、復活するんだ。
へー…
テンション低っ!
せめてどこに行くのか聞けや!
うわーい、今度はどこに行くの?
ポポポ!
今回から一人旅の後半戦。
前回iPhoneを壊してしぶしぶ地元に引き返したわしは、
スマホを修理したあとまだ訪れたい場所があるためにまた再び旅をすることにしたのじゃ!
で、今回はどこからスタートするんだよ!
「一人旅・後半戦」1日目
前回iPhoneが壊れたことで京都で一度一人旅を終えたわしは、帰宅後iPhoneを直してまた再び京都から旅を再会したのでした!
前回まではこちら
旅の最後は南禅寺だったよ、という話(*´ω`*)
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【前半戦完結】さようなら京都 旅の終わりは南禅寺
続きを見る
続・京都観光1 迷宮案内・復活!
ついに復活したドラねこの一人旅。
そして復活したといえばもう一つ、そう、それはわしのiPhoneである。
前半の一人旅を終えて、帰宅したわしがまずしたことは上高地で破損したiPhoneを近所の代理店に持っていって復活させることだった。
復活といっても代理店に持って行くと全取っ替えするしかないと言われ、泣く泣く2万円を出して新しいiPhoneを買い換えることに。
ああ……これでまた旅の資金が経てしまった。
そんな痛い思いを抱えながら、いよいよわしは新たな『一人旅・後編』を再開することにしたのだった!
京都駅
読者の方は覚えておられるだろうか?
わしが前回の旅の最後で行くことが出来なかった『並河靖之七宝記念館』のことを。
なので今回の目的地は、
その七宝焼きの記念館を尋ねることを一番の目標に、まずは行動を開始した。
そして京都駅に着くと、すぐに『並河靖之七宝記念館』へ、と思ったのだが…時刻は正午過ぎ。七宝焼きを見ただけでは時間が余ってしまう。
今日の最終目的地は天橋立に向かってそこのYH(ユースホステル)で一泊する予定なので、なんとか予定通りに時間を合わせないといけない。
そこで手持ちの地図を見てみる。
ムムム…!『並河靖之七宝記念館』の途中に三十三間堂があるじゃないか!
よし!せっかくだから寄っていくことにしよう。
どうせ暇つぶしだ。今日は他にもいろいろ周ってみよーっと。
ということで、さっそくバスに乗って三十三間堂に行ってみることにした。
三十三間堂
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である。
堂内中央にこの丈六坐像の本尊をまつり、左右の内陣にはそれぞれ十段の階段に50体ずつの千手観音立像、計千体が並ぶ。
三十三間堂に着いた!
ここが宮本武蔵が吉岡伝七郎と戦った三十三間堂か!
中に入ってみると、沢山のお釈迦さんがわしを迎えてくれる。
うわ~、すげぇ仏像の数!Σ(゚Д゚)
その多さに思わず圧倒されてしまう!もちろん中は撮影厳禁。
なので文章を読んでどんな仏像だったか想像して下さい。
大体こんな感じ↓
わかるでしょ?
中は結構広い。全部見るのも一苦労。
30分ほどでようやく広い境内をグルッと周って、外に出た。
外に出てその大きな外観をカメラに収めようとすると、なんか変なことしている学生たちがいるw
むーん、それにしてもここはなんだか見覚えがあるぞ。
そうだ!ここはバガボンドで出てきたあの名シーンの場所だw
……ちょっと感動(*´∀`)
さて一通見終わったので再びバスに乗り、今度はいよいよ目的地である『並河靖之七宝記念館』に行くことにする。
ここで少し並河靖之について予習しておこう。
並河靖之
川越藩近江領の代官の高岡家の3男(幼名は留蔵)として京都で生まれ、11歳のときに青蓮院宮家に仕える並河家の養子となり、名を政二郎と改めた。当主の靖全の亡き後に並河家の家督を継ぎ、名を主税、諱を靖之と改めた。並河家は七宝細工を副業としていたことから、並河も宮家に仕える傍らで明治6年(1873年)から七宝の製作を始めた。
当時の日本は工業が未熟であったので、明治政府は貴重な外貨獲得手段(殖産興業)の一環として日本の伝統工芸品の欧米への輸出を奨励していた。並河もこの流れに乗り、明治8年(1875年)の京都博覧会に作品を出品して銅賞を受賞してからは、西洋の博覧会に積極的に出品するようになり、1876年のフィラデルフィア万博、1878年のパリ万博、1889年のパリ万博、1900年のパリ万博等で、作品の精緻な細工、色彩感覚、構図の美しさなどを理由に数々の賞を受賞した。金賞も含めた国内外の博覧会での受賞は合計31回にも及ぶ。
その高い技量が認められて明治29年(1896年)には帝室技芸員に任命された。七宝の分野で帝室技芸員に任命されたのは靖之と濤川惣助の2人だけである。
という日本の七宝焼きを芸術の域まで高めたというすごい人。
以前、TVでこの人の七宝焼きを見て、わしはその美しさに驚嘆した!あれを是非この目で見てみたい!
それからというもの、長いこといつかここに行くことを夢見ていたのだ。
こんなんや、こうした美しいツボなどが展示されていた。→
館内は展示物の七宝焼きを撮るのは撮影厳禁。
(出典:究極のクロワゾネ─並河靖之の七宝─ - 陽出る処の書紀・並河靖之七宝記念館 徘徊の記憶/ウェブリブログ)
外観はこんな感じの普通の京の古民家風。本人の生家を改造して記念館にしたらしい。
入場料は600円と少し高め(その理由は後ほど)
並河靖之七宝記念館
ここの入り口の敷居をまたいだ瞬間、急に怪しかった雲行きが雨に変わり、ザーザーと土砂降りの雨が降ってきた。急いで入場料を払い、さっそく中へ。
う~ん、なかなか趣のある玄関だ。
高そうな屏風も飾られている。う~ん、なんだか期待が持てそうだ。
庭の方に目をやると、先客に縁側でたたずむ美人を発見。お客はわしとこの人のみ。
むむむ!これは!いかん、なんだか緊張してきた。
庭には大小様々な置き石とともにこんなものも飾られている。
小さいカエル。見えるだろうか?
庭は趣のある日本庭園。
こぢんまりとしているけど、京都の家という感じがする。
綺麗な庭だな。まさに京都。
どこから撮っても絵になる。晴れていればなおいいのに。
しかし、ここらへんからまた雨が激しくなってきた。雨で写真がうまく撮れない(;´∀`)
中の母屋から庭を見るとこんな感じ。
ほんと、趣きのある家だなあ(*´∀`*)
雨が本降りになってきたのでしばらくここで雨宿りさせてもらおう。
家の中はこじんまりとした資料館になっていて、
畳の上に洋風のテーブルと椅子が置いてあったりする。でもなんとなく絵になるんだよねw。
畳にこの洋風のテーブルが合っている。
こちらから見るとだいぶ生活感があるけどw(;´∀`)
庭に置いてある小さな小物がかわいい(*´∀`)
さて、この記念館の感想を述べるとすると、
え?これだけ?Σ(゚Д゚)
という感じの記念館であった。
それもそのはず肝心の七宝も、
記念館というには少ない展示でわずか20点くらいしかなかったんじゃないかな?
大きさも予想よりずいぶん小さく、なんだか見ていてあっという間に見終わってしまった。
……これで600円か…高ぇな(-_-;)
展示品少なすぎだろ!そして家が狭ぇよ!
正直、300円でもどうかと言うくらいの内容だった。
あ~あ、がっかり・・・(;´Д`)
雨の日の京都。この上なく雅(みやび)
あ~あ、期待していた並河記念館があんな感じとはなぁ……
かなり、がっかりだった(;´Д`)
そんな風に落ち込みながらもトボトボと雨の京都を歩き出す。
せっかくお預け食らって楽しみにしてきてみたのに行ってみたらあの内容かよ…(-_-;)
おまけにこの雨じゃどこに行く気もしない。どうしよう?
仕方ないので清水に帰ってきた。ここには2週間前来て時以来であるw
清水さん、ひさしぶり(;´∀`)
ああ、懐かしいw
清水三年坂にはもうひとつわしが行ってみたい清水三年坂美術館という美術館があったが、この時はやっていなかった。ちぇっ(;´Д`)
仕方ないので 雨に濡れた石畳を歩く。こんな何気ない風景が綺麗である。
ここも雨が降っただけで京の町は不思議な美に包まれている。
それはまるで湯上がり美人のような、ほんのうっすらと上気した景色だ。
これが雅というものなんだろうな。
雨が降っただけでそこは別の風情を醸し出す古都。
わしはしばらく歩きながら雨の音に耳をすまし、京の町を歩いた。
もう今日は特に見るべきものはない。仕方ないのでバスに乗り京都駅へと向かう。
今日の最終目的地は天橋立だ。
しかしここから天橋立は遠いので特急に乗って目的地へ行くことにした。
こうしてわしは雨に濡れる京の町を早々と後にした。