ちわ!おいさんだよ。
キミは広島を訪れた?
だからまだ行ってねぇよ。俺も行きてぇな。
今回から本格的に広島を散策していくのじゃ。
まず手始めに平和記念公園と原爆ドームを訪れてみたよ。
まぁ鉄板だろうな。
外国人はみんな行きたがるもんな。
「一人旅・後半戦」14日目
初めて広島を訪れたおいさんは、お好み焼きに舌鼓を打ちつつ、翌日あの平和記念公園と原爆ドームにむかうことにしたのだった。
今回も広島の旅をご案内します!
前回まではこちら
初めて広島焼きを食べたよ、という話(*´ω`*)
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地元で大人気の広島焼きがうまい理由
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広島観光2 原爆ドームと新緑の平和記念公園
橋を渡って、広島の町並みをみる。
ここが、本当に原爆でやられたところなのか?
昨日の疑問がこみ上げてきた。それぐらいこの街、ヒロシマは美しかった。
今回はよく眠れたw
なかなか感じのよかったゲストハウスを出て、見に行くと決めた平和記念公園に行くことにする。
昨夜の冷たい雨がウソみたいに晴れてこの日は晴天だった。
歩いていると、あれ?なんか変なとこに出てしまったぞ。
わしは平和記念資料館を見に行きたいのに、一本道を中に入ったら目の前には「平和の塔」があった。
しかしこれが「塔」だとはわからなかった……わからないですよねぇ(;´∀`)
今日は平和記念公園の中をゆっくり見られる。
ガイドブックを片手に進んでいった。いつしか綺麗な公園の中に美しい噴水が見える。
あれ?よく見ると銅像がある。
これは「嵐の中の母子像」というものだそうな。
あ~あ…雨で千羽鶴が「へな~ん」となってる。ちょっと可愛そうだなぁ…(;´∀`)
それにしてもものすごく近代化された建物の数に、わしはただ驚くばかり。
平和記念公園ってこんなにキレイで広いのか。
平和記念資料館は恐ろしい所?
うーん、観光バスも止まっているぞ。これから多くの人が降りてくるのかな?
こうしてはいられない!
観光客でごった返す前に、早く平和記念資料館を見ておこう!
と、思って中に入って見たものの…
中はもうすでに人がいっぱいで、多くの展示物は人で溢れていてほとんど見ることができない。
ええ?!だってまだ会館して10分しかたってないんだぜ?!それでこの人の多さとは!すごいな、平和記念資料館!
おまけに客も日本人だけではなくて、中国や韓国やアメリカや色んな国の人が多く詰めかけている。
やはり平和記念公園はこんなにも世界中に知れ渡っている施設なのか。待っていてもほとんど人がどかないので、次のところへ行くことにする。それぐらい、人が多かった。
見上げると原爆ドームの骨格が見えた。
こんなに大きいのか!
しかし、こんなモノをわざわざ中に作ってしまうとは…すごいな。(゜o゜;
一階の展示物はほとんど占拠されているので、二階から上がって原爆ドームに近づく。ちゃんと近づけるんだね(;´∀`)
うわぁ〜!でかい!(゜o゜;
こんな風に原爆ドームに間近で見られるとはビックリである。
色々見て回ったが、ここらへんから平和記念資料館の様子が変わる。
建物はよくある美術館の白い壁から、いきなり原爆に焼かれたようなオドロオドロしいレンガ造りの壁に変わった。
色々噂は聞いているぞ。
この先の展示物はかなりグロテスクで、この平和記念資料館に遊び半分に見に来るような客は、その展示物の内容にショックを受けてトラウマになるという。
そんな残酷な展示がいくつもされていると、わしはいつだったかおかんに聞かされていた。
トラウマになるほどって、い、一体どんな展示物なんだ?
見た人が言うには、ヘタなお化け屋敷よりも数倍怖く、心の弱い人は鬱になってしまうという。
うぅ…やだな。わしお化け屋敷ニガテなんだよな。
怖いのダメなんだよ(;´∀`)
横を見ると、原爆に焼けただれた親子の人形が、紅蓮の空の下、皮をむかれたような格好で歩いている。
うわぁ…出た。でも言われたほど怖くはないぞ(^_^;)。
中には色んな写真が展示してあった。
注意ポイント
原爆に焼かれた人の写真や。
放射線でケロイド状になった皮膚。
黒くなってしまった火傷のあとなど、被曝された方の痛々しい姿が、その写真からこちらにも伝わってくる内容である。
あれ?でもそんな被曝された写真は多くない。
噂で聞いていたような残酷写真は数々は見かけなかった。
……よかった(^_^;)。
噂はあくまでデマだったのだ。
中は一階の原爆を落とされた歴史的経緯や被害の大きさを表す展示とは違って、原爆の科学的な構造や、放射能を浴びるとどうなるのかという医学的な説明などが、細かく記述されていた。
放射能や放射線の違い。
被曝すると人体に一体どんな影響を与えるのか。
そうしたものや、放射能を受けてしまった人の写真を、科学的なアプローチがしっかりとした観点から展示されている。
これをよく読めば、ついこないだの東日本大震災の原発事故後の放射能によるパニックなど起こりはしなかっただろう。
しかし、一体いつから日本人はあのようなパニックを起こすほど放射能に対する無知が浸透してしまったのだろう?
あの現象は、日本人の平和ボケ、ここに極まれりといった行動だったのだろう。わしらはいつしか平和を愛する代わりに、有事の際の危機管理能力を失ってしまったのかもしれない。
これは恥ずかしいことである。
慰霊の場「平和記念公園」
展示物をあらかた見て外に出た。今度は来た時と反対側の広い公園の方へ歩いて行く。
あのごみごみした平和記念資料館の重苦しさがウソのように、ここは6月の柔らかな日差しと穏やかな開放感に満ちていた。
ほんとにここが焼きつくされた街の中心部近くなのか?
道をまっすぐ歩いて、原爆遺没者慰霊碑に近づく。
大きな石のアーチ。磨きぬかれた墓標。
あまりにもキレイすぎるその姿に、わしは慰霊の念が浮かばなかった。
「 過ちは繰り返しませんから」
…ああ、ここはやはり慰霊の施設なのだ。
靖国神社と違ってここはやはり先の戦没者たちを顕彰する場ではないんだ。
かんたん説明
顕彰と慰霊は違う。
慰霊はなくなられた人たちを慰めることを目的としているが、顕彰は先の戦没者に感謝の意を表して、特段優れた霊(=英霊)として祀ることである。
前者を体現する施設が靖国神社であり、後者はここ(平和記念公園)や長崎、あるいは護国神社がそうである。
もっと簡単に言えば、
戦没者に対して泣くこと(=慰霊)で、
戦没者に対して褒めること(=顕彰)
ということだ。
わしは正直言ってこの平和記念公園で泣くことはできない。
ここは綺麗すぎる。あまりにも綺麗すぎて、まったく慰霊する気持ちにはなれない。
それに「過ち」といったって、ここに暮らしていた人たちが一体何をしたのだろう?
なにも悪いことをしてはいない。
その当時、ただ広島に住んでいただけである。
そんな善良な人たちに一体どんな「過ち」があったのだ?
世界で始めての原子爆弾は、明らかに日本人に対する虐殺行為以外のなにものではなく、当時の広島に住む日本人は何も悪いことはしていない。
もし戦没者を祀るなら、わしはやはり靖国神社の方が好きだ。
靖国は少なくとも建物だけをキレイにせず、先の大戦で命がけでこの国を守るために散っていった人たちをしっかりと祀っている。顕彰している。
しかし、ここにはそうしたものは感じられない。
当たり前と言えば当たり前だが、ここには残しておかなくてはならない哀しみすらも感じられなかった。
もちろんこの平和記念公園も気持ちの良い所ではある。
しかしそれはただの公園としてであって、ここはコンクリートで舗装された綺麗な公園以外の何物でもないのだ。
少なくとも今この時はそうとしか感じられない。
キレイすぎる平和記念公園に微かな違和感を覚えつつ、わしは原爆ドームの方へ歩き出した。
ここは立派な施設である。
誤解しないでもらいたいのは、わしはこの平和記念公園を批判しているわけではない。
ただあまりにキレイすぎるこの立派な公園が、大きな公園とだけにしか思われているのではないのかと少し戸惑っていたのだ。
原発事故後の日本の様子を見ていると、そんな感情が、思わずこみ湧き上がってきた。
見事な復興を遂げたヒロシマの街を眺めつつ、 わしはいよいよ原爆ドームに近づいてみることにした。
やさしさのモニュメント・原爆ドーム
初めて来た。
あまりにも痛々しい施設なはずなのに、なんでだろう?
なぜこんなに清々しい気持ちになれるのだろう?
さっきまでの重苦しい疑問が、ここに来るとウソのように消え去ってしまう。
それは不思議な感覚だった。どう見ても戦争を伝えるモニュメントなのに、ここにはそんな痛々しい空気は存在しない。
「憎しみ」を感じない。
あまりにも拍子抜けなこの原爆ドームの周りを、 もっと歩いて周って確かめてみた。
しかし、どこから見てもこの原爆ドームの姿には、見ているわしを暖かい気持ちにしかさせない。
わしは原爆を肯定しているわけではない。
それなのに何故かこの建物を見ていると、肩の荷が降りたような、気持ちがすっと楽になる気がした。
そんな6月半ばの午後だった。
そうここは、訪れる人を思わずうやさしい気持ちにさせる、「やさしさのモニュメント」だった。
そして、この時から何故かわしのiPhoneも絶好調で、綺麗な写真がビシバシ撮れた。
特にこの広島の時は、天気もピーカンで撮影には持ってこいの日だったのだ。
重苦しい空気から抜け出て、わしは次の目的地へ進み出す!
さぁ、じゃあこれから宮島に向かおう!