
こんちわ、おいさんだよ。
キミはどこにもいかない仕事をしているかい?
お前はどこにもいかないよな。


毎日お部屋でお仕事しているよ。
ポポポ!


ドコにもいけない時期だからこそ、
行ったこともないドコか不思議な場所へ連れて行ってみたいと思わんか?
まあ、たまにはどこかに行きたいよな。


そこで今回はポール・オースターのニューヨーク3部作、第3弾である「鍵のかかった部屋」を紹介するのじゃ!
前回まではこちら
幽霊たちってなに?という話(*´ω`*)
鍵のかかった部屋
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本書は、ポール・オースターの「鍵のかかった部屋」「幽霊たち」に続く、オースターの「ニューヨーク3部作」最後の作品である。
ちなみに「嵐」の大野智主演の同名のドラマとは全く関係ないw
ポール・オースターいいですね(*´∀`*)
この人の作品は読んでいるとなんとなく普通の作家とは違っていて、
非常に独特の世界観と物語の中に静かな幻影のようなものが見える、アメリカ文学の中ではかなり特異な作家であると思う。
本作は探偵小説の枠組みにとらわれない発想で展開するこの3部作。
オースターの小説はいつも孤独な「僕」から話が始まる。
「生きていく」主人公。死んでいく」ファンショー
本書を読んで思ったのは、誰でもない「僕」がいつの間にか色々なモノを手に入れて「生きていく」のに対し、失踪した親友ファンショーのはどんどん全てを失い「死んでいく」という「生」と「死」の対比の差だ。
それは二人の孤独な青年が、まるでコインの裏表のような状態で存在している。二人は気づかない間に妙な絆で繋がっている。
その見えないような繋がりが見事にこの小説は表していて、それはまるで透明なフィルムのように、「生と死」という目に見えない通底和音が全体に鳴り響き、全体としてはそれが不思議な面白さになっている。
ポール・オースターの「幻影性」
ポール・オースターにはこうした不可思議な幻影がいつも彼の物語の底には漂っている。
そうした、とらえどころのない「幻影性」が彼の魅力なのだ。
彼の作品をたくさん読んでいると、そうした不可思議な幻影性に惑わされて不思議と今いる時点がなんだか本当の場所ではないような、どこか別の場所に連れて行かれてしまったような気がしてしまうのだ。
こうした錯覚は、多分良い文学には必ず含まれているのだろう。
間違いなく素晴らしいこの純文学に、ワシは大きな感銘を受けるとともに、ポール・オースターの才能をまざまざと見せつけられた気がした。
ドコにも行けない。いや、年末だからこそドコにも行かないと家で引きこもってTVをいつまでも見ている人にこそ、本書を手にとって読んでもらいたい。
きっと、ここではないどこかへ必ず連れて行ってくれる本であると思うから。