ちわ!おいさんです。
キミははモテてるかい?なんていきなり核心をつくおいさんです。
うん、モテてないだろう?オマエは。
アホかっ!
めちゃめちゃモテてるよっ!
うそつけっ!
くそっこうなったらでは以下に人生においてモテることが大切かを説いた本、「きみがモテれば、社会は変わる。」を今回は紹介するのじゃ!
前回まではこちら
どこにもない国へ行こう。という話(*´ω`*)
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「どこにもない国」へ。この一冊で不愉快な梅雨を飛び出せ
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きみがモテれば、社会は変わる。
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「モテたい!」
彼女がいなくなってもうずいぶん経つわしにとって、これは喫緊の課題である。
そんなわしが真のモテ男になるためこんな本を読んでみた。
結論をいうと実はこの本、
モテる男になるためのナンパなテクニックについて書かれた本ではない。
読んでみるとちょっとがっかりなのだが、本書は著者の宮台氏が東日本大震災以降の日本の在り方を述べるところから「モテるとは何か?」モテたら人生どのように変わるかということを重点的に解説してくれる本である。
最後まで読んでみて「なあ~んだ、がっかり(;´Д`)」と思ったのはわしのスケベ心からではない。
ただ本書を読めば宮台真司氏曰く、この「クソ社会」を生きるための重要な知恵がいくつも示されている本なのだ。
任せてブーたれる社会から「自立」した社会へ
本書を読んでいくつか目からウロコな発見は、わしらが生きるこの日本社会が「誰か他人に任せっぱなしにしている社会」だったということである。
孤独死が増えているのも、
自殺者が毎年3万にも出ているのも、
すべてはこの「他人にすべて任せる」ところから始まっていると宮台氏は指摘する。
詳しくは本書に譲るが経済を回すことだけに必死になっている日本の政治家やエコノミストたちや、自分たちの国も守れないくせに集団的自衛権なんてものを持ちだす政治家の暴走を抑えられないのも、この自分たちで「決められない」「(自分の)頭で考えない」「空気に左右される」という日本社会独特の風習が産んだ結果なのだという。
そんな問題は今や原発事故や憲法の問題など、探してみればいくらでもある。
こうした「思考停止状態で<依存>した社会」から「引き受けて考える<自立>した社会」にしていかなければ、まだまだ日本の迷走は続いていく。
「良い社会」とは、「徳」のある者たちがあふれる社会のことだ、というのです。「徳(ヴァーチュー)」とは「内から」湧き上がる力」のことです。いわば<自発性>ではなく<内発性>。ちなみに、目先の損得勘定だけで何かを選ぶのは<自発性>、それを超えるものが<内発性>です。
「徳=内から湧き上がる力」は、人々の尊厳・尊重(リスペクト)を集め、周囲に模倣(ミメーシス)の輪を広げます。そのようにして社会のメンバーの多数が、有徳=内発的なふるまいをするようになった社会こそが、アリストテレスの言う「良い社会」なのです。
きみたちは、アリストテレスの言うことをどう思いますか?僕は完全に同意します。
クソ社会を良い社会に変えるためには「モテる人間」になることが重要である。
「モテる」という言葉は実に抽象的で、実際にはどのような状態が「モテ」ているのか、それを表すことは難しい。
女にキャーキャー言われることが「モテ」なのか?
異性にチヤホヤされることがすなわち「モテる」ことなのだろうか?
そうではない。宮台氏はモテる男とは「徳のある男」だと言う。
モテル男とは「内から湧き上がる力」を持った男。
「徳のある」というのは「内から湧き上がる力」を持った人間のこと。
こういう人は周囲から尊敬され一目置かれる存在になる。
それ故に多くの人に慕われて、それが周囲に拡散され「良い社会」を生む。
本人にとってもそれが生きていくためには非常にプラスになるのだ。
自分が少々頭がいいことより、自分よりも頭のいいヤツに助けてもらえるほうが大切です。自分の腕力が強いのもいいが、自分よりも強いヤツに助けてもらえるほうが大事です。
勉強だけしか能がない「いい人」より、まずは、遊びや経験を通じて経験値をあげた<内発性>の高いやつになるのを目指すことです。そうすれば、モテは自動的についてきます。
単純に自分だけが得をしたい、異性にモテたいなんていう了見の狭い「あさましい」話ではなく、今生きている社会をより良いものにするために「モテる男」になる。
モテるためには、
こうした「徳のある男」になることが大切なんだと、本書を読んで実感した、わしなのでしたw