ちわ!ドラねこだよ。
キミはセロニアス・モンクは好きかい?
オレはけっこう好きだよ。
だあれ?
ポポポ?
有名なJAZZの巨人なのじゃ!
そのモンクがどうしたんだよ?
ずっと読みたくて読みたくて仕方なかったのじゃ。
たまたま出向いた図書館で何気なく歩いていたら特設展示の棚にこの本があって、これを手にとった瞬間「ああ……運命なんだな」と、柄にもなくこの本との出会いにときめいてしまったのじゃ
そこで今回は「セロニアス・モンクのいた風景」をご紹介するのじゃ!
前回まではこちら
「沈黙」を集めた博物館って何?という話(*´ω`*)
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「沈黙」は「死」か?孤独な博物館でみた僕の幻
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セロニアス・モンクのいた風景
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やはりスゴイ男だったんだ。
この本を読んだ第一印象はそれだった。
わし自身、セロニアス・モンクの音楽は大好きで、彼の音楽との出会いは大学時代に遡る。
本書を編集・翻訳をしているのはご存知・村上春樹氏だが、冒頭ではこのブログでも紹介した「ポートレイト・イン・ジャズ (新潮文庫)」に収められたセロニアス・モンクについて言及した文章が再録している。
読み進めていく内に、「ああ……そうだった。モンクさんは確かにそんなミュージシャンだったなぁ」という感慨深い思いで読み進め、Spotifyでセロニアス・モンクを検索しながら彼の音楽を流しっぱなしで読了した。
セロニアス・モンクは言わずと知れたモダンジャズの巨匠である。
だが、当時のモダンジャズの立役者のチャーリー・パーカー(バード)やマイルス・ディヴィスに比べてなんとなく影が薄いような感じがするが、そんなモンクさんが以下にそうしたJAZZの巨人たちに負けない素晴らしいミュージシャンであったかを様々な関係者の証言によって語られる。
色んな人の目線でモンクという1人の巨魁を語り尽くしているのだが、それでありながらコレほどまでに寡黙で堂々として自らの道を信じて突き進んだ、富や名声に恵まれるのが遅すぎたJAZZの巨匠は、モンクを置いて他にないだろう。
モンクの音楽は一見すると難解で、とっつきにくく、どこか人を食ったような曲調がずっと展開されていくが、それでいて不思議な場所へストンと落としてくれる。そんな心地よいモンク節のようなシグネチャーを持ったミュージシャンである。
そうしたものを受け入れられない聴衆を尻目に彼は最後まで自分の音楽を追求していったのだから、マイルス・ディヴィスとはまた違った意味でスゴイ男である。
奇人だとか変人だとか様々なエキセントリックなイメージが終生付きまとい、そうした世の中の評価に苦しみながらもセロニアス・モンクはモンク自身にしか生み出せない、紛れもなくオリジナルなJAZZという音楽を数多く生み出していったのだ。
その我が道を行く大きな佇まいに、個人的には大いに励まされる次第である。
ユニークで温かな人間性
セロニアス・モンクの音楽を聞いていて何よりも楽しいのは、彼の音楽の節々にみられるそのユニークさだ。
モンクのどのアルバムを聞いてみても、必ずそこにはピアノを通して大らかでひょうきんでそれでいて研ぎ澄まされた美しさをもつモンクの姿がそこにはあるし、そんなに大上段に構えずに無心彼の音楽を聞いていくと、セロニアス・モンクが紡ぎ出す音楽の中に彼自身の哀しみや苦しみ、それでいて彼の優しさが垣間見えてしまう。
本書を読んでいると、その寡黙で人とすぐには打ち解けない性格が災いしてモンク氏の人生には色んな苦しみがあったことが延々と綴られている。
そうした周囲の人の証言を一つ一つ読み解きながらセロニアス・モンクの素晴らしい音楽に耳を傾けていると、そこにはセロニアス・モンクという大きな(文字通り)ミュージシャンの足跡が目の前にあるような感じがしてなんとも胸に迫る思いがしてならない。
そんなセロニアス・モンクの心血を注いだ数々の名曲と共に、本書を紐解いてみるとそこにはいつも大きくて優しくてそれでいてユニークなモンク氏の姿が目の前に現れるかもしれない。