ちわ!ドラねこだよ。
キミは博物館は好きかい?
まぁ嫌いじゃないわな。
よく行くほうだよ。
ボクも博物館だーいすき!
ポポポ!
それが「沈黙」を陳列していても?
は?
言ってる意味がわかんねえよ。
ふふふ…「沈黙」を「陳列」している博物館なんか見たことないじゃろう?
この人の作品は「博士の愛した数式」の方が有名だけど、わしはこっちの方が好きなのじゃ。
ああ、あの本の作者か!
それが今回紹介する本か?
そう。今回はそんな「沈黙博物館 (ちくま文庫)」をご紹介するのじゃ!
前回まではこちら
雑談が飛躍的に上がる本をすすめてみたよ。という話(*´ω`*)
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雑談が苦手な人に読んでほしい!自然と雑談が盛り上がるポイント
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沈黙博物館
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どこか死のニオイがする。
それは博物館につきまとうイメージだろう。
といっても、本書 「沈黙博物館 (ちくま文庫)」では扱うものが死者の「形見」なので、なんとなく死の影がするのは当たり前なのだが。
それでも博物館というモチーフにはなんとなく閉鎖されて孤独な死の影が見えるのだ。そんなイメージをうまく使いながら紡ぎ出された物語がこの「沈黙博物館」である。
博物館は好きな方である。
といってもどちらかと言えば美術館の方が好きなのだが、それでも東京に住んでいた頃は博物館巡りのようなものもやったことがある。
都内にはそれこそ星の数ほど博物館・美術館があったけど、本書の物語で出てくるような博物館は存在しないだろう。
というのも冒頭で述べたように、この博物館が収蔵しているものが「死者の形見」という特殊な収蔵品を展示しているからだ。
物語は博物館技師のボクが、形見の博物館を作りたいという老婆の元を訪れるところからはじまる。
この老婆自体もんなとなく禍々しい、どんな読者が読んでも好きになれないような「老害」の塊みたいな老人で、その傍らにはいつも「娘」と呼ばれる美少女が付き添っている。この美少女、老婆に「娘」 と呼ばれているが明らかに年の離れた血のつながりは感じられない謎の存在で、癇癪持ちの老婆にいつも寄り添っていて何故か不平も言わないといういささか奇妙な女性である。
そんな僕と老婆と美少女の三人(+お屋敷の庭師)が広大で今は寂れたお屋敷を、個人の形見を展示する博物館にしようというのだから、常軌が逸している。
だが、そんな奇妙な状態であるというのに、物語の登場人物たちはそれがどんなに突飛な思いつきであるかを疑うことなく、それぞれに与えられた「役割」を演じて博物館を作り上げるのだ。
死のニオイがする博物館で僕も囚われていく
主人公の僕は老婆の言いつけで村で起こった連続殺人などの死者から形見をもらってくることを強要される。
最初はそんな犯罪まがいなことに抵抗を示す僕だが、話が後半に進むに連れて次第にそんな僕の抵抗も虚しい博物館運営の作業と化していってしまう。
ここらへんの僕のここ心理描写の移り変わりも見事だが、仕事で派遣されて来ていた僕がだんだんと博物館のコレクションになっていく様がなんとも薄ら寒い。
老婆。美少女。庭師。家政婦。
みな奇妙な存在なのだが、いつしか僕もそんな奇妙なお屋敷の一部として「沈黙」していってしまう。
博物館とはある意味、美術品や収蔵品の「墓場」なのかもしれない。
そんな博物館技師の僕は誰もやってこない死者の博物館の墓守として、いつかは現実との接点も失われて修道院の少年のように自らの「言葉」をもたない「生きたコレクション」になっていくのだ。
どことなく村上春樹のニオイもする
読んでいてこの先何が待ち構えているのだろう?と思わせるドライブ感のようなものが常につきまとい。ぐんぐんと読んでいってしまう。
文体は平明で飾り気はなく。かと言って描写は緻密で的を射ている。
読んでいてそのスキのない文章に読者は不自然な物語のはずが、ストンと落ちてしまう感覚がある。
なんとなく読んでいて、この感じは以前にもどこかで感じたことがあるなと思っていたら、村上春樹の世界観にちょっと似ているように思えた。
だが、村上春樹は読んでいても疲れることなく先まで読ませてしまう力があるのに対し、こちらの「沈黙博物館」は読んでいると「もうついていけない」と思わず本を離してしまう感覚がある。この差は一体なんだろう?
文章というか物語の雰囲気はいわゆる「マジック・リアリズム」風で似ているのに、やはりどこか村上氏と小川洋子氏では違いがあるように感じられる。
この差がなんなのか浅学のわしにはよくわからないが、日常と非日常が緻密に織り交ぜられている本書は、間違いなく読者をここではないどこかへといざなってくれることだろう。