ちわ!ドラねこだよ。
キミは日常と幻想がつながっている物語を読んだことはあるかい?
なんだそりゃ?
?
どういう意味?
ポ?
ううむ、実は先日久しぶりに透明感のある本を読んだのじゃ。
それがあまりにも素晴らしかったので、今回は梅雨のジメジメしだしたこの時期にぴったりの文学として紹介しよう!
なんかすごい話だな。
そんなに雨の時期に合う本なのか?
うむ。あうぞ!
そこで今回は「ハヅキさんのこと (講談社文庫)」について語ってみたいと思うのじゃ!
前回まではこちら
天皇論完全版を読んでみたよ。という話(*´ω`*)
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【初心者おすすめ】失敗しない天皇論・増補改訂版で登場!
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ハヅキさんのこと
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ゆるくてムダのない文体の中になんとなく体を持っていかれる。
それがこの本の第一印象だ。
色んな話があった。
全体としてはふんわりしているというか、ぼんやりしているというか、この梅雨の時期に読み始めたということもあるのだろう。なんというか、非常にこの季節にあった物語をなんとなく読んでしまった、そんな感じがした。
この著者の川上弘美という人の本は今回これが始めてだったのだが、これがこの人の持ち味なのかそれともこの本だけの文体なのかよくわからないが、著者のあとがきによると本書は最初エッセイのつもりで書いていたものを途中で短い小説として書き出したというのだから、エッセイと小説のハイブリットみたいな感覚で読み進めてしまう不思議な小説だ。
透明感は短さゆえか
表タイトル「ハヅキさんのこと」は後半部分173ページから始まる。
不真面目な教師と自称する二人の女教師が、なんとなく馬が合うことから酒を飲み、何故か酔いつぶれてラブホテルに向かってしまうという物語だ。
読んでいて「そうか…世間にはこうした先生もいるのか」と妙に感心させられてしまったけど、なんとなくこの二人の自堕落なところがありえないようでしかし逆に際立っていてリアルな感じがする。
この何とも言えない現実と非現実の入り混じったような感じを与えられるのも、やはりこの本に収められている文章がどれも短いから、というのもあるのだろう。
長編小説でこのふわふわしたような空気感を長いこと維持して物語を読み進めるのは困難だし、なによりも読み手の方が飽きてしまうかもしれない。
こんな風にリアルと非リアルを行き来しながら、女性が書く文章にしてはすごく洗練されスッキリした文体に、どこか北方謙三氏の文章に通じるような世界観を持ちながらも、こちらはごく普通の日常、それでいてよく考えると不思議な世界へと読者を導いてくれる、本書はそんなギリギリのラインを巧みに操りながら、読者を束の間ここではないどこかへとしっかり誘ってくれる不思議な本だった。
透明感が梅雨にマッチして
特にわしは前半の「琺瑯(ホーロー)」「ストライク」なんかの半透明な世界観がすごく好きだ。
「かすみ草」なんかは出世コースを歩んできた夫を持つ妻の話だが、これなんか高学歴で世間の目には華やかな出世街道をひた走ってきた典型的なエリートの、家庭の裏側を見ているようで何とも言えないリアリティがある。
ただ多くの読者がそうであるように、わしはこの夫の傲慢な感じは非常に鼻持ちならない嫌な奴として受け入れられないのだが、妻の方は人として主体性のない感じを持ちつつ、どこまでも淡々ともずからの物語を語る様に、言いようのない透明感がつきまとう。
それ故にどこか幻想的でありながらも、現実の虚実を行ったり来たりしている感覚が読んでいていつも感じられ、語られる現実は過酷なのに、語っている本人はどこかここにはいないような印象さえ読み手には与えているのだ。
そのギャップに何とも言えない感覚を抱いてしまうのだから、この作者はかなりウマい人なのだと言うしかない。
そんな何とも言えない透明性に満ちた文章が、この梅雨時期に読むとそこまで物語に近づきすぎることなく、絶妙な距離感で真に迫ってくるような気がするから不思議である。
この湿気のうっとおしい梅雨時期に、
家の中でじっと息を密めて読んでみるのも良いかもしれない。