ちわ、日頃から本を読まずにはいられないおいさんだよ。
キミは「ハードボイルドなおっさん」は好きかい?
は?
いきなりすげーカテゴライズするなよ!
だって、今回紹介する本が北方謙三の「十字路が見える」なんだもん!
うーん、それはしょうがねぇなぁ……
そうなのじゃ。
だから今回はそんなタフガイなおじさんが語る抱腹絶倒のエッセイを紹介するのじゃ!
ハードボイルドなのに笑えるんだなw
そこで今回は、久しぶりにわしの大好きな北方謙三氏のエッセイ「十字路が見える (新潮文庫)」をご紹介しよう。
前回まではこちら
ハックルベリーを読んでみたよ。という話(*´ω`*)
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十字路が見える
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北方謙三の大ファンである。
……なんて北方謙三風に文章を始めてしまうくらい、わしは北方謙三が好きでたくさんの本を読んできた。
三国志、水滸伝、楊家将、楊令伝、岳飛伝……
このブログでもそんな北方文学をたくさん取り上げてきたが、気がついてみればエッセイ集は始めてである。
北方謙三のエッセイといえば「試みの地平線 伝説復活編 (講談社文庫)」などが有名で、中でも「ソープランドへ行け!」という名言は知る人ぞ知る北方謙三語録と呼ばれ、多くの人の知る所であるw
そんなわしも過去に「試みの地平線」は続編も合わせて二冊しっかり読んでいる。
しかしあの本は読者からの質問に北方謙三が応えるという形式になっていたが、今回紹介する本はエッセイの中でも北方謙三の独白というかたちで、あの独特の文体で北方氏自身について語った自伝的エッセイである。
北方謙三自らを語る
君よ。と語りかけるように始まる文章を読んでいくと、それまでわしが抱いていた北方謙三に対するイメージがだいぶ違う、ということをまず第一印象として感じられた。
わしは北方謙三といったらもっと車と酒と女が好きで、あとはヘミングウェイみたいな暮らしをしているカッコイイおっさんというイメージだったのだが、この中の北方氏は以外にもiPhoneなどスマホを使いこなし(イメージにないw)やたらカレーが好きで(意外w)ロックのコンサートなどにも出かけるアクティブな面を我々に見せてくれる。
その文章の男臭くも、時に無鉄砲でおもしろい北方謙三氏の行動の数々が読んでいてまず飽きない。
特に真夜中に居合の練習をしていて(これはある意味イメージどおり)肩の健を切ってしまったりする光景にはどこかお茶目で憎めない謙三氏のキャラクターが垣間見える。
中盤の音楽や映画の話などは、謙三氏が観てきた映画はひとクセあって、どれもわしは観たことがないのだが、思わず観てみたい!感じてみたいというような、映画論、音楽論、旅の話、男の料理などについての自らの美意識が満載なのである。
わしはこの本を読む前からプライベートでうまくいかないことがあって落ち込んでいた日々が続いていたのだが、夜中に1人で謙三氏の文章を読んでいると、暖かい言葉で自分に語りかけてくるような文章に出会い、尚且つ読み進めていると必ずクスっとしてしまうおもしろい体験がその先に待っていて、孤独な自分を大人なオヤジがなんとなく慰めてくれる。そんな気持ちにさせてもらった。
もちろん、そんなものはわしの一方的な勘違いかもしれないが、人の痛みも哀しみも知り抜いてきた北方氏の文章は、読んでいる者の心を揺さぶり、大きく暖かな背中で見守っていてもらっているような気持ちにさせられる。
病気の半生を語った結核の話や、後半の小説家になる前の自身について語った「薔薇と金魚」などは読んでいて北方謙三にも多くの苦悩、十字路に立たされていた時期があったのだ、深く胸に突き刺さるような思いがした。
北方謙三の書く文章が、なぜあれほどハードボイルドでありながらも独特の優しさのようなものを抱えているのか……その大きな男の背中をこの自伝的エッセイで垣間見えたような気がした。