こんちわ、おいさんだよ。
やった……ようやく読み終わった。
長いことかけてずっと読んでいた岳飛伝をようやく読み終えたよ。
何を読んだんだよ?
北方謙三の「岳飛伝」だよ。
北方謙三の水滸伝シリーズか。
あれでようやく最後なんだろう?
そう。
水滸伝、楊令伝、岳飛伝とずっと読み続けてきた作品が先日読了をしたのじゃ。
長ぇもんな。水滸伝w
……長かった。
わしがこの小説に出会ってから10年が経っていたよ。
まさかわしもここまで長くこの小説に付き合うことになろうとは…
そこで今回は、そんな北方文学の最高峰「岳飛伝 1 三霊の章 (集英社文庫)」について語ってみるのじゃ!
前回まではこちら
J-Popは終わったね。という話(*´ω`*)
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J-POPは死んだ 僕らの音楽に長いお別れ?
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気がつけば10年かかりましたw
ようやく読み終わった。
気がつけば10年である。
最初に北方文学に出会ったのは、アレはまだわしが大学生の頃だった。
大学の講義でわからないことがあったわしは近くの図書館に連日通いつめて飽くことなく図書館の本棚にある本を眺めていた。
そこで飛び込んできたのが、北方水滸伝。
友人にゲームを借りて幻想水滸伝にハマっていたわしはいさかさ興味をひかれて北方謙三の水滸伝を手に取った。これは以前もお伝えしたことと思う。
何気なく手にとって読んでみて興味をそそられ、とりあえず借りて読んでみてつまらなかったらすぐに返そうというくらいの軽い気持ちで手にとってみたら、その日の内にドハマリしてしまった。
それからというもの、わしに人生に幾度となく大きな試練が降り掛かってきた。
大学中退、就活失敗、ブラック企業でアルバイト、親友の死、一人旅とこの10年を振り返ってみてもよくもこれだけというキツイ目にあってきたが、それでも北方水滸伝はいつもわしのそばにいた。
九紋竜に魅せられて
気がついてみれば水滸伝も終わり、楊令伝に差し掛かる前に「楊家将」を読み、続編の「血涙」も読破した後は楊令伝に取り組み、楊令の壮絶な戦いの後は主人公はあの岳飛に変わった。
それからというもの、もうだいぶ水滸伝の頃からの登場人物も1人消え二人消え、あの呉用や衛青、武松や李俊も物語からその姿を消した。
そしてこの「岳飛伝 十七 星斗の章」ではあの九紋竜・史進ですらウジュとの壮絶な戦いのあと、梁山泊から姿を消すことになる。
史進。梁山泊遊撃隊総隊長の本物の男よ。
わしはオマエが大好きだった。そんなオマエがいつまでも物語の中で最後まで生き続け、懸命に戦い、傷つきながらも男として最大限に生きる様は、読んでいて最後まで清々しいものであった。
そしてそんな史進も、最後にはわしが大好きな子午山に向かったのだ。
さらば九紋竜・安らかに眠れ。
そして漢たちよ、永遠なれ。
現代では珍しい漢たちの物語
北方謙三の水滸伝は、現代では珍しいどこまでも漢臭い、漢の文学だ。
これほどまでに長く、そして漢のために書かれた物語は他に類を見ないだろう。
出て来る漢たちはどこまでもデカく、強く、潔い好漢豪傑ばかりw
だがそれでいて原点の水滸伝のようなファンタジー色はまるでなく、文体はどこまでも現代風でリアリズムを感じながら読むことができる。
文体は一見シンプルで平坦だが、
行間には様々な漢たちの葛藤や血の滲むような苦しみが凝縮されている。
そう、この物語に出てくる漢たちは、
間違いなく本の向こう側に熱い血潮をたぎらせながら見事に生きているのだ。
一分の女子たちにはこうした漢たちはあまりにもアクが強く、受け入れられない者たちばかりかもしれないが、現代ではカッコイイ男=ジャニーズ系細マッチョ的な価値観を大いに揺さぶってくれるw
そうしてナヨッとした何処か草食系の頼りない女みたいな男たちを好きな女子共に飽きて来ている人たちも、一読してみたらその価値観が一変してしまうかもしれない。
それほどまでに北方謙三の小説に登場する男たちはどれも魅力的で力強い真の強い男を描き出してくれている。
そんな漢たちの戦いを観ていると、本当に気持ちが良い。
わしも水滸伝に出てくる好漢たちのように戦えるか?と言われればもちろん無理なのだが、それでもどこか自分を内側から揺さぶり「強く」してくれるような気がしてならないのだ。
強くなれ!
それは北方文学に漂うハードボイルド小説の通低音であるからだ。
最後の一章を読み終えると、そんな好漢たちとの出会いもこれで最後なのかと、なんだか少し寂しくなった。
でもわしの心の中には梁山泊で生きた熱き男たちが、今でも力強く生き残っている。
物語は終わっても、感動は死なない。
やるだけやって死にたい。…でも何か食いたい。
わしもそんな男たちのつぶやきを胸にこれからも力強く生きていこう……と誓って本を閉じたのであった。