ちわー!乱視の猛虎ことおいさんだよ。
君は忍者は好きかい?
毎度のことだけど、なんだいきなり?
ボクは好きだよ!かっこいいよね!
ポポポ!
ううむ、そうじゃ、忍者と言えばにんじゃりばんばん、今回の目的地は戸隠神社なのじゃ。
戸隠は古くから戸隠流・忍者の聖地として今に伝えられているのじゃ。
……そんなとこ行ったのか?
そうじゃ、そこで今回はそんな戸隠を探訪していくぞ!
「一人旅・前半戦」5日目
善光寺で朝早くから執り行われる東日本大震災の追悼行事に参加したおいさんは、参拝料をむざむざ取られるという屈辱を味わった。その後もう一つの目的地「戸隠」へと向かうのだった。
前回まではこちら
善光寺でハメられたよ、という話(*´ω`*)
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長野の心 善光寺と被災地への祈り
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長野観光12 戸隠神社
戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、以下に記す五社を配する神社である。
一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行を嘆いて天岩戸(あまのいわと)に隠れたため、この世に暗黒と悪神がはびこった」とされる神話にまつわる神であるが、それぞれがいつ頃から現在の祭神を祀るようになったかは必ずしも明らかでない。
しかし他の多くの神仏習合の神社とは異なり、祭神は江戸時代以前から変わっていない。
バスはどんどん山奥を登って行きすごい山道を容赦なく登っていく。
おおぉ!ワシは一体ドコへ連れて行かれるんだろう?
と不安になりながら窓の外を眺めていると、山の上は分杭峠と同じくまだ雪が残っていた。
バスを奥社入口前で降り、奥社と九頭龍社を目指して歩き出した。
じつはこれが大変。
九頭龍社と奥社は近くにあるのだが、行くのにかなりの険しい参道があり、登山と言ってもいいくらいの行程。
くそう!今日は歩かずに済むと思ったのに!仕方ないので歩きにくい雪道をを突き進む。
これが後々非常にしんどいことになるとは、この時点では思ってもいなかったのだった。
九頭龍社・奥社への険しい道
あたりは一面雪景色。平坦な雪道がず~っと続いている。季節は4月後半だってのに戸隠はこの有様。
ここから奥社に進むことができるのか。なんだかあの分杭峠の記憶が蘇ってくる(;´∀`)
しかし、愚痴っていても始まるまい。あたりを見廻すと結構若い参拝者が5、6人集まっている。
水が冷たそうに橋を横切っていく。
この戸隠には年寄りの参拝者はほとんどいない。そらそうだろう(来れねぇってw)
こんな山奥にわざわざ来るなんてみんな奇特だなぁw( ´∀`)
ハァ…ハァ…(;´Д`)行けども行けども雪である。もう随分歩いたけどまだ先は見えない。
ここらへんから木々が鬱蒼としてきて、やっと門らしきものが見えてくる。
随神門
おおう!デカイw
なんて趣のある門なんだ。しかし、だいぶ歩いてやっと門か。
この赤い門を随神門という。
こうして引いてみるとデケェなぁ……
唐突にこういったものが現れるから非常におもしろい。
ふと後ろを振り帰ってみると、そこには静寂に包まれた木々の道がそこにはあった。
奥社へと続く杉並木
一体いつ九頭龍社に辿り着くんだ?
それに九頭龍社がこんなに遠いんじゃ奥社はもっと遠いんじゃないのか?
なんとか歩きにくい雪道を超え、今度は滑りやすい雪山の斜面にかぶりつくように踏ん張る。
ムムム……これもキツイぞ。今にも滑りそうだ。
周りの参拝客の若い女の子もキャーキャー言いながら結構滑っている。
ここから雪の量が格段に増えてくる。すげー!一面銀世界だw
ここらはまだ雪が沢山残っていて油断すると足元が危ない。
もしここで滑ったら下まで落ちて偉いことになる。なんとか持ちこたえるのだ!
九頭龍社
- 九頭龍社(くずりゅうしゃ):祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
- 奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命(あ めのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社 から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入禁止)を登りきった場所にある。途中に赤い「随神門(山門)」があり、その 奥は17世紀に植えられたとされる杉並木になっている。神仏分離以前は随神門より奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。旧奥院。廃仏毀釈までは聖観音菩薩を祀っていた。戸隠三十三窟「本窟」・「宝窟」と言われる中心となる窟が奥社本殿内部にあるが、非公開なので内部に何があるのかは秘密とされている。
- 現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であり、これと激しく抗争して約500年前に滅亡したとされる西光寺など真言系の寺院が存在していた事も知られている。
やっと九頭龍社に辿り着く。
しかし、木で囲われていてよく見えないwでも一応お参りはする(中に入って撮ったけど暗くて上手く映らなかった)
うう、これより先にまた行かなくちゃならないのか。
ハァ…ハァ…(; ・`ω・´)
しんどい・・・しんどいって。
今日は歩かないって決めたのにもうこんなに歩いてるよ。まだか?まだ見えないのか?
と、鳥居が雪で埋まっている。こんなの生まれて初めて見た!Σ(゚д゚lll)ガーン
やっと奥社に到着。ここか奥社って!しかし、やはりここも雪でよく見えない。
すげぇなぁ、雪で鳥居と社が埋まっちまうなんてここらへんはどれだけ降ってるんだよw
奥社
すごいところだ。でもなんかパワーがビンビンに漂っているような気がする!
見よ、この谷。こんなところを歩いてきたのか……恐ろしい!(;´∀`)
んでまた来た道を戻るのか。でもこれ帰りの方が怖いよ。
ああ、みんなどんどん行ってしまってわしだけ取り残されてしまう。
なんども言うけど、これ4月の後半ですからw
あとちょっとで5月だったんだよ?(;´∀`)
それでここまで雪が残っているなんてすげぇなぁ長野w
戸隠忍者館!
あの長い参道をやっとのことで帰ってくる。
そこで戸隠神社の全体を見るためにマップで位置確認。
こちらがマップ↓
後は下の宝光社まで歩いていけばいいんだな。
とマップを見ながら歩いていると、左手に戸隠忍者館という文字がワシの目に飛び込んで来る!
ニンジャ?
忍者だとうっ!ワシが忍者好きとあっての狼藉か!!(# ゚Д゚)
ワシは何を隠そう子供の頃から忍者が大好きで、夢は忍者になることだったのである!
ナゼここ、戸隠に忍者館などがあるのかというと、戸隠山は元々戸隠流忍者の発症地なのだそうな。
戸隠流(とがくしりゅう、とがくれりゅう)は、忍術の流派のひとつ。戸隠山で修験道 を学び、木曾義仲に仕えた仁科大助(戸隠大助)とされるが文献はない。木 曾義仲が源義経に討たれた後は伊賀に逃れ、伊賀 流忍術をも取り入れて完成させたとされる。 現在の宗家は初見良昭氏。
現存する忍術の流派の一つであり、世界中に支部道場を持ち門下生は10万人。日本より、欧米での弟子のほうが多い。
また、アメリカの総合格闘技大会UFC初期には、戸隠流の弟子(アメリカ人)が参戦していた。他にアメリカで はCIAやFBI(!?)の格闘術として注目され、CIAとFBIの情報部員と捜査官は「戸隠流格闘術」の研修と訓練と修行を行っている。
もちろんさっそく戸隠忍者館に行く。
ポイント
入館料500円を払い中へ。
館内は手裏剣道場、忍者資料館やからくり屋敷など、広い敷地にいくつかの建物が分かれていて戸隠忍者の生活の様子(雑貨道具)など民具が2000点。忍具が500点も飾られている(パンフより)
これは貴重な資料だ。
うおおおっ!!テンション上がってきたーー!
さっそく中を見せてもらわなくては!
ムムム…これは怪しげな雰囲気。
からくり屋敷に到着すると、あたりには人がいない。お客はわしだけ。そんな寂しい中、わしはこのからくり屋敷にチャレンジしてみる。果たしてワシは無事帰って来ることができるのか!?
からくり忍者迷宮へようこそ
中に入って見ると、からくり屋敷は文字通り迷路のようになっていて、出口がなかなか見つからない。
ここはどこだ?あれ?閉じ込められた!おや?またさっきの所に戻って来てしまったぞ??
中は色んな仕掛けが施してあって撮影禁止。何度も最初の大広間から一歩も出れなくなってしまった。
どんなに行ってもまたこの大広間に出てきてしまう。あたりには仕掛けもないし、それらしき通路も見当たらない。
なんだか泣きたくなってきたw
もしかしたら今日はここで一夜を過ごすことになるのだろうか?
そんな不安が押し寄せて半べそをかきながら考える事15分。ようやくふすまの奥に、次の通路への仕掛けを見つけて先に進む。その後、30分ほどかけてこの迷路を何とか攻略。
迷いながらも無事脱出することができた……怖かったw(;´∀`)
資料館
その後、忍者資料館で当時の忍者の屋敷や忍具などを見学する。
至って普通の住まい。いわゆる和の建築である。
しかしよく見ると普通の屋敷とはちょっと違うものが置いてある。
なんだか屋敷というより学問所みたいな雰囲気だ。
う~ん、すごい(;´∀`)
この火鉢がなんとも言えない雰囲気を醸し出している。
やっぱり、置いてあるものがなんだか普通じゃない。
なにこの屏風の絵。
置いてあるものが変じゃなければ普通の和風建築なんだけど……
ここらへんは普通の廊下だし、こういうのは親戚の家なんかで観たことがあるぞw
でも全体的にはなんか普通とちがうんだよね(;´∀`)
ついでに別の蔵にある忍具が展示してある資料館を観た。
蔵の2階には数多くの忍具がおかれているが、ここも撮影禁止w
壁には印が描いてある。
どこかへ忍びこむ時はこれを結んで精神を統一したらしい。
他にも様々な忍術の解説が写真付きで展示してあってどれもとても興味深い。さすがにこれは撮ってもよいでしょう。
その極意はCIAやFBIの格闘術として伝わっているだけあって、現代でも通じる完成された忍術なのだろう。
こうした貴重な資料を取り揃えてくれていて非常に楽しい資料館であった。
しんどい戸隠下り
さて、先を急ごう!
……とその前に、比較的新しくできたおみやげ屋・奥社の茶屋でソバを食べる。
ズルズル……うまい!食ってみるとこれが絶品!
値段は一杯1000円以上とちょっと高いけど、それでも美味しいおそばであることは間違いない!
店をでて一段落。ここからはずっと下って行って中社、宝光社まで歩いて降りることにする。
この道程がまたしんどい。
さっきの雪道でだいぶ足にダメージがきているのに、下るだけでまたしても容赦なくワシの足はお見舞いされていく。
長い!長いよ!中社まで結構距離あるぞ!
中社
中社(ちゅうしゃ):現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、宝光社と同時期に奥社の相殿として創建された。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神とも される。
境内周辺には樹齢約900年の三本杉があり天然記念物に指定されている。火之御子社の上1.5kmほど。旧中院。
やっと中社にたどり着いた。さぁ、上の本殿まで行ってみよう!
よーし、では手を合わせて参拝する。パンパン!なむなむ……参拝終了。
まだまだ先は長いぞ!頑張れワシ!
しかしやっぱり雨の中一人で歩いているとかなり疲労困憊してくる。
いかん奥社のあの雪道が今ごろになって足にボディブローのように効いてくる。
火之御子社
火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く):創建は天福元年(1233年)。祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。
他に高皇産霊命(たかむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あ めのおしほみみのみこと)を祀る。
天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。
舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にある。尚、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がない。
引き続き火之御子社へたどり着く。
社の作りは中社とおんなじなんだな。さてまた参拝して(ぱんぱん!)
次へ行こう!……早く行かないと次のバスにね、間に合わないしねw
しかし、まだ歩くのか。
坂道を一人カサをさして歩いていると言いようのない寂しさに襲われる。俺は一体何をしているんだ?いよいよ膝が笑う。きつい!そして最後にやっと宝光社。
宝光社
宝光社(ほうこうしゃ):現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に奥社の相殿として創建されたものである。
祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、中社の祭神である天八意思兼命の子。学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。
麓から登ってきて最初にあり、うっそうとした杉木立の階段を上って参拝する。旧宝光院。
ここもまた、拝殿までの道のりがきつい。
この階段であるw
長いなぁ……ここも足を踏み外したら死んじゃうレベルだよw。
そしてまた参拝。ここの社もまた質素で厳かな雰囲気をたたえた社である。
ああ…ここまで来るともうだいぶ疲れてきた(-_-;)
なので頭を真っ白にして無念無想で参拝できる。ぱんぱん!
ああ…結局、今日も結構歩いたなぁ。
バス停に着く頃には雨も激しくなってきて、屋根のあるバス停に駆け込んで一休み。長野はやたら屋根付きのバス停が多い。きっと雪で覆われないようにするためだろう。
15分ほど寒いバス停の中で雨宿りしていると、やっとバスが現れる。
これでワシもパワーアップしたに違いない!
東山魁夷美術館 そして善光寺散策
善光寺に戻って来ると、時間もまだあるので近くの東山魁夷美術館に行った。
あたりは桜が咲いていて、さっきの戸隠とは打って変わった春の模様だ。中はかなり近代的な建物である。
ひぇぇぇ……立派な池だなぁ(;´∀`)
しかし、その大きさの割には絵は少ない。ちぇ、もうちょっとあると思ったのに。
東山魁夷の絵は意外と少ない数しか展示されておらず、建物の割にはがっかりな美術館だった。
善光寺・門前町
その後、善光寺に戻ってきて昨日夜も暗くて見て回れなかったので、門前町を散策しよう。
今朝に比べてさすがに多くの人がたくさん道を歩いている。
やっぱり昼も過ぎると賑わっているなぁ(*´∀`*)
でかいお地蔵さんもおるし。
境内は参拝客で絶えない。
立派な門構えだ。
昔ながらの長野の庶民の信仰が厚かった場所なだけあって、ここ善光寺は長野のお寺の中でも一、二を争うほどの盛況ぶりだった。
今朝は人が多くてとても写真に移せなかった本殿の中。ここにも多くの人が詰めかけていた。
素晴らしい咲き誇り方だなぁ(*´∀`*)
見ていてさっきの寒さを忘れてしまいそうだ。
善光寺で観たもの全てが今では良い思い出である。
こんな素晴らしいお寺にまた是非こよう。
タダで入れた温泉
宿に帰るとユースのおかみさんにくず湯をもらった。
こうした心遣いがにくい!喜んで飲んでいると身体の芯からあたたまる。そしてまた今日も昨日と同じ温泉に連れってってもらう。
温泉に着くと女主人が
「今日は、2日続けて泊まってくれたから、私が払います」
と言って、なんと温泉の入場料をわしの代わりに払ってくれた!
ええっ!!?いいんですか?でも、有難い!!!あざーっす!m(_ _)m
戸隠の疲れを癒すように長風呂してしまう。いやぁ気持ちいい!
今日も長野を堪能した!
それにしてもおかみさんがここの温泉のお金を払ってもらえるとは!
タダより高いものはないっていうし。貧乏旅行者にとっては本当に有難い!
さっぱりして風呂から上がり、先にロビーで待っていた女主人にお礼を言う。本当に本当にありがとうございます!
こういう出会いがあるから旅は辞められない。
宿泊費を三千円にしてもらったり、温泉代を払ってもらったり、無関心な感じでいて、本当は親切な素敵なおばあさんだった。
良い人に出会えた。
こうした出会いが、わしの大切な思い出だった。